皆様からのお言葉


映画『七日』をご鑑賞くださいました皆様から沢山のご感想やご批評、メッセージが発信されています。

この場所でまとめさせていただきますので、ぜひご覧ください。

 

映画の内容に触れたものもありますので、映画を未見の方はご了承の上、お読みください。

 


全編モノクロ台詞なしのアヴァンギャルド映画

 

男の生活は毎日がほぼ同じ作業の繰り返しだった。朝早く起きて歯を磨く。着替えて近所の集積所にゴミを出す。朝刊を読みながら飯を食い、洗濯物と布団を干す。年老いた祖母と二人暮らしだが、会話らしい会話はない。家での仕事が終われば、歩いて牛舎に向かう。牛の乳を搾り、餌を与え、牛舎を隅々まで清潔に掃除する。そうした作業の合間に、簡単な昼食を取る。牛の世話が終わればまた歩いて家に戻り、祖母とふたりでテレビを見ながら飯を食う。使い終わった食器を洗い、祖母の入れ歯を掃除し、布団に潜り込んで少し本を読んでから寝る。晴れても雨でも、やることは変わらない。たまには酒を飲むこともある。だが大きく羽目をはずすことはない。すぐちかくに街もあるが、遊びに出ることもない。牛の世話に休みはないからだ。朝起きると顔を洗って歯を磨き、ゴミを出し、朝飯を食い、牛舎に通って仕事をし、晩飯を食って寝る。こうして男の時間は過ぎていく。

 

全編モノクロで台詞なしの映画といえば、新藤兼人監督の『裸の島』(1960)を思い出す。しかし『裸の島』にはあったドラマが、この映画には存在しない。『裸の島』にはあった喜怒哀楽の感情が、この映画には存在しない。映画はただ淡々と、主人公の男の日常生活を描く。朝起きて、夜寝るまでの日常を、月曜日から次の月曜日までの7日間、淡々と描き続ける。この映画は新藤兼人の『裸の島』より、むしろマヤ・デレン(1917〜1961)やスタン・ブラッケージ(1933〜2003)のアヴァンギャルド映画に似ている。前衛なのだ。実験映画なのだ。手法としてはいささか古風な気もするが、テレビを見ながら食事をするとか、入れ歯の掃除をするとか、毎朝のゴミ出しをするなどの行為も「アヴァンギャルド」になるというのは、映画を観る人にとっては発見かもしれない。映画の中から台詞を排除しつつ、登場する風景そのものは雄弁に状況を語っている。

 

映画は主人公の男の状況を執拗に描写しいてくのだが、映画の中に登場しないものや、画面の中から排除されているものがかえって気になってくる。例えばこの映画には、男が洗面やハミガキをする場面はあっても、トイレに行く場面や入浴する場面が出てこない。食事の後片付けをする場面は出てくるが、食事を作る場面は出てこない。絞った牛乳を出荷する場面もない。買い物に行く場面もない。男の両親はどこにいるのか? なぜ男はひとりで牛の世話をしているのか? 男が牛舎まで往復する道の様子が、日によって大きく異なっているのはなぜなのか? わかりやすい日常の風景をただ時系列に切り取っているように見えて、この映画が切り取る場面は結構限られているし、どこをどう切ってくるかはよく考えられているようなのだ。限られたモチーフを繰り返し使いながら、それを重ねあわせ、展開していく映像と音響のシンフォニー。物語はないので、それだけご注意を。


モノクロで台詞は一切なし。

 

主演は牛を飼う男(監督さん)ともくもくと食事するだけのおばぁちゃん(平山ミサオ/監督さんの祖母)。

 

渡辺監督の出身地・栃木県大田原市から名付けた映画制作集団「大田原愚豚舎」は2013年に『そして泥船はゆく』を作る。

この時の主役は今映画祭上映の『下衆の愛/内田英治監督』でも主役を演じている渋川清彦さん。

おばぁちゃん役は同じ平山ミサオさん。『七日』ではこたつに座ってご飯をもぐもぐと召し上がるだけ。

 

そんな牛飼いの男の日常(七日間)をカメラはほとんど男の後ろ姿を追いかけている。

 

男のウィークデーは、朝起きる、顔を洗い歯を磨く、ゴミ捨てにいく、湯を沸かしインスタントコーヒーを入れる、朝食をとる、布団を干す、相当遠い牛舎に歩いて出かける、牛舎の掃除、乳しぼり、地下に潜って肥料?を運ぶ(この作業がわからなかった)、鉄塔の見える道端で一服、家に帰り晩ご飯を食べる……音楽は沖縄民謡のような激しい音の曲と不気味な声や、それとは正反対のシューベルトの歌曲が流れる(菩提樹、春の夢など)。そしてまた朝…

納豆ご飯が卵がけご飯に変わるぐらいで同じ日が続く。土曜は墓参り、日曜は壁を相手にキャッチボール。

 

途中退場する人、数人いたが、私はこの男の背景から、東日本大震災で牛舎の壁に遺書を書いて自殺した酪農家の男と重ね合わせていた。

 

もし彼が生きていて生活しているなら、ここは再生の場所としてこの牛舎に雇われているのだと勝手にストーリーを作っていた。何の説明もないだけに自由に映画に入り込むことができた。


彼方に一本の大木が屹立する道をただ歩き続ける男の後ろ姿を、

モノクロームの映像はひたすら追う。

堆肥を運搬し、牛に餌を与え、

郵便箱から新聞を取り出した手で食事を作り、

ゴミ捨て場への長い道のりを辿る

彼の規則正しい日々の営みからにじむ原初的な人間の生命力。

そんな銀幕の平穏が、ノイズのような音楽と、

高らかな女性の民話調の歌声で突如として破られるように、

それは決して退屈な反復ではないと、渡辺監督は示唆する。

平山青年は孤独だ。

食事から洗濯に至るまで

家事の一切を彼自身が取り仕切る自宅には、

祖母らしき女性が同居するが、

食事中も無言のまま、ラジオ放送と食器の音だけが部屋に響く。

仕事仲間は存在するようだが、

遊びといえば壁打ちの独りキャッチボールという日常生活にも、

しかし寝そべった彼の剝き出しの太鼓腹を

祖母が幾度となく平手打ちするような、そこはかとないユーモアもこぼれる。

週末、先祖の墓参りをする律儀な平山青年を、渡辺監督自ら演じることで、

東京近郊の地方都市で生きる独身青年の

ドキュメンタリーさながらの“言葉のない”リアルな生活感が銀幕に息づくが、

一転、殺風景な原野に分け入る彼の背中に漂うただならぬ鬼気には、

閉塞感にあえぐ地方都市に生きる若者の不穏とも感じ取れる。

スマートフォンやパソコン等とは無縁の現代生活が違和感なく成立する、

宇都宮ナンバーの車が駐車場に停まる北関東の村で、

ラジオから流れる天気予報がまったく当てにならず、

コタツと扇風機が出しっぱなしで、

夜は蚊取り線香の傍で読書という“七日”は、

ある特定の1週間ではなく、

あくまでもアトランダムな7日間なのだと惚けてみせるかのようだ。


ミニマリズムの極地から見えるもの【映画レビュー】『七日』【東京国際映画祭2015】

猫が道を横切る、そんな何気ないカットがいつまでも心に残る。

渡辺紘文監督の『七日』は、その舞台設定からしてとてもシンプルな映画だ。全編モノクロ、役者は二人と牛たち、セリフ無し。ストーリーもほぼ無いに等しい。主役の二人は監督本人(渡辺紘文)と彼の実の祖母(平山ミサオ)だし、舞台となる家もそのばあちゃんが実際に住んでいる家だ。予算の方も(たぶん)恐ろしくミニマル。

前作『そして泥船はゆく』(2013年)では、いまや日本映画にかかせない俳優の一人となった渋川清彦を主演にすえ、彼の下衆さを全面に押し出した軽快なコメディを見せてくれた渡辺兄弟だが、本作では一転して、ドラマ性を排除した冷徹な「日常劇」を展開する。いや、「劇」というのは少し言いすぎかもしれない。この映画ではいわゆる劇的なこと、ドラマティックな展開は、本当になにも起きないのだ。

朝、男(渡辺紘文)が歯を磨き、ゴミを捨てに行き、朝食を食べ、仕事場に向かい、牛の世話をし、飼料を買い、帰宅して夕食を食べ、寝る。という一連の動作が丹念に写し取られる。一週間を描いた作品だが、恐るべきことには、一日目と二日目がほとんど同じ構成だということ。これから始まるのは「おっさん版「エンドレスエイト」なのではないか。」という恐怖にとらわれる。東京国際映画祭で、私が観ていた回ではこの時点で観客の4分の1が退出した。しかし、物語(と言っていいのか)、男の日常は少しずつ変化していく。冒頭に掲げた「道を横切る猫」はその一つだし、雨が降れば男は仕事を休む。この地に住む彼が自然とともに生きていることがわかる。食事を食べ過ぎた夜は、パンパンに膨らんだ腹を上にして横になる。その腹を太鼓のように叩くおばあちゃんがまた愛おしい。だがしかし、この映画は基本的には、「何も起きない」映画である。

そして、その「何も起きない」ということは恐ろしく作為的だ。一見するとドキュメンタリーのような様相も見せるこの映画は、それとは正反対に、綿密に仕組まれたフィクションの網の目で出来ている。全く同じように見える1日目と2日目、全く言葉をかわさない家族、同じような構図が繰り返され、日々の暮らしが反復する。何気ない日常が非日常化していく。とても「映画的」な瞬間が立ち現れる。


年老いた祖母と暮らす一人の男の一週間を淡々と追い続ける映画。月曜日から翌週の月曜日まで,男は目覚め,洗面し,ゴミを出し,新聞を取り,朝食を食い,仕事に出かける。仕事は牛舎での牛の世話だ。仕事をし,昼食を食い,帰途につき,夕食を食べ,寝る。それが繰り返される。セリフは一切なく,撮影監督・方又玹の実に力強いモノクロームの映像と,音楽監督・渡辺雄司による土着めいた圧倒的存在感を持つ音楽が映画を支配する。

毎日の繰り返しという観点で言えば,小林政広監督の「愛の予感」を思い出す人が多いかもしれないが,「愛の予感」はあくまでもミステリであり,ラブストーリーであり,毎日の繰り返し映像が,信じられないような緊迫感を生んでいる。しかし,本作はそれとは対照的に,全く逆の方向性を示しているように思える。単調なる繰り返し。しかし,それが実に魅力的なのだ。この映画を観て退屈だと言う人には,この映画を語る資格はないように思える。


歯を磨き ゴミを出し 

無言で祖母と飯を食い 

働き 寝て起きて 歯を磨く 

雨ニモマケズ風ニモマケナイ七日間

“言葉”以前の生き物としての人間

セリフの代わりに全編を覆う

鳥と虫と雨と風の“声”そして

時折襲う暴力的で哀感に満ちたビートが

“諸行無常”を響かせる

平野を吹きすさぶ北関東のからっ風

高圧線の下 食う男

胸をしめつける寂寥感

 

「わずかにこの哀感の力にて

 我が心はかすかながらも

 永遠の命のおもかげに触れるなり」

         国木田独歩


TIFFより『七日』。素晴らしかった。

ただ1週間を撮っただけのロシア民謡のような作品だが、何かと不思議な点があり(ゴミの量とか蒲団干しとかばあちゃんの飯とか)、突き詰めた結果、ファンタジーに昇華した感が強い。観ていてまったく飽きない。それは淡々とした日々に生じる美なのではないか。


『七日』台詞による説明を削ぎ落としたことで、観客はスクリーンに映し出される人間や牛の動作に観入り、自然音・テレビの声・音楽に耳を傾けることになります。映画を見つめていると、私は反復する日常を見ているようで、実は流れる時間の差異に身を置いていることを感じました。

おばあちゃんがコタツに座ってモグモグと口を動かしていることで安心しているけれども、もし、そこに不在を見たらどんな気持ちになるだろうかと。そして、男(主演=監督)が壁キャッチボールをするシーンを目の当たりにし、彼の孤独がひりひりと伝わってきて胸にしみました。

監督の愛嬌ある後ろ姿が、日ごとに頼れる男に見えてくるのは幸せな時間で、グースカ眠りこけて丸出しの太鼓腹をおばあちゃんがパシパシ叩くのも可笑しかったし、男の几帳面さがときにユーモラスに映り(洗顔・歯磨き、ゴミ出し、ばあちゃんのポリデントなど)大好きな映画です!


映画「七日」は、非意味の作品。合理性を炙る。六本木ヒルズで上映する価値。映画館=強制力の装置。退屈で面白い。

反復の予感。眠くならない不思議。スマホを登場させない意思。大層な世界としてのニュースの音。腹は迎合。新聞を左から右に読む。あなたは無意味に耐えられるか。書体良。


TIFF「七日」途中退席者が出る攻めの内容。

でも、これでいい。攻めなくちゃダメなんです。

僕は今回の方が色々考えさせられたので、前作「そして泥船はゆく」より好きです。


TIFF「七日」日常とは何か?を突き詰めようとした映画。日常とは単調といえば単調だし、実は見方を変えれば単調ではないし、単調でもそこに美はあるしと、そういうものを丸ごとモノクロ、セリフなしで表現しきった点は素晴らしい。賛否両論なのは納得の内容だけど、僕は好きな映画です。


TIFF「七日」は面白い映画だと思う。これをツマラナイって言えてしまうのは、自分の日常を否定しているような気もするんですよね。そういうこと考えさせる作りになってるのが面白いのかも。


TIFF「七日」一方で日常のはずなのに、天気予報と実際の天気が全然違ったり、ゴミの日が多すぎたり、布団干しがずっとそのままに見えたり、不自然なシーンもよく考えると多かったするあたり、架空の日常であることを敢えて混ぜてるのかな。QAで聞けば良かった。


東京国際映画祭で『七日』鑑賞。監督が主演してることもQ&Aで言ってるほど、というか、全然気にならなく普通に受け入れてしまってた。

大田原愚豚舎なら自然な流れな気がしてしかも違和感なく見られた。ポジティブな意味で必然性があったキャスティングだと思った。

音楽の雄司さんは、今までもストーリーに合った音楽を作れる才能ある方だなと思ってたけど、とうとう音楽で映画に別の柱を立てるようになったと感じました。セリフがないせいもあるかもだけど、すごいよー!

最初の月曜日、このままこれが続くのかとちょっと恐れるほど淡々としてるのですが、3日くらいたつと、終わってほしくなくなってくるという不思議な感覚になってきて、面白かったでした!


『七日』だん。エンドレスエイトだった。

途中退席する人の気持ちもわからなくはないが…。あの内容で寝なせないのは凄いよ。


2015 10本目は渡辺紘文監督の『七日』。前作の『そして泥船はゆく』からあらゆるドラマ的要素を削ぎ落としたミニマリズム的な作品。初日の月曜と火曜がほとんど同じなので、ここで途中脱落者が出た笑 

細かい変化に気がついていくのが面白い。全然眠くならない不思議な映画。


この前観た『七日』はずっとこういう感じでじっと見てるだけなのかなあと思って最初は戸惑ったのに途中から心地よくなってきちゃって、ちょっとした違い、繰り返しが楽しくなって、歩いてる時の映像と音楽が好きだった。

もう一度最初から観たいなあ。


『七日』P&I上映。祖母と二人で暮らしながら、ひとり牛を飼う男の生活。

これで2時間は結構キツイ。

しかしこの男の生活は、この映画の前にも、この映画の後にも存在するのだ。

生きることとは、苦しみそのものである。


田舎で暮らすのは決してパラダイスではなく、平凡な一日の繰り返しで、「こういった生活に耐えられるか」と都会に住む人々の憧れを拒否する姿勢を感じた。

静かな描写とは対照的に音響が大きく、鋭利に尖っている。牛舎の糞尿に飛ぶハエの羽音を爆音で聴いたのは初めてだ。

セリフがない映画ではあったが、テレビのニュース放送は今の日本についてのメッセージを発信していたのだろうし、東京国際映画祭だったら外国人向けに英語字幕をつけるべきだった。


東京国際映画祭・日本映画スプラッシュ部門にて「七日」鑑賞。

写り込んでいるあれこれは、前作とほぼ変わらないのに、まったく異なる仕上がりに。

「七日」上映終了後のQ&A。渡辺紘文監督、渡辺雄司音楽監督、方又玹撮影監督。スタッフはこの三人がすべて。

作品ともどもウルトラミニマム。

酪農青年の一週間を台詞を排して描いた「七日」。

テレビの音でかろうじていつの時代の景であるのかが解る。

季節がちょっと解り難かったかも。あと15分短かったら更に善いw


七日@TIFF。

なんの予備知識なかったけど、わたしは好きだなー。

ガテン系だけど実は文系な主人公(監督)も、実のおばあちゃんもかわいい。


『七日』

かなり年老いた祖母と二人暮らし、牛舎で働く男。起きて、ゴミ捨てて食べて、仕事して、寝て。日々繰り返される日常の風景…面白い。音楽も印象的。監督本人とそのおばあさんが出演⁉︎


東京国際映画祭で4本。ぽっちだが、中でも印象に残ったのは、ドキュメンタリー風味のフィクション2本。

強く厳しい大自然に在る家族を圧倒的スケールと美しさで描いた、観る叙事詩『カランダールの雪』。

セリフの無いモノクロ映像で繰り返し描かれる日常が、観る者それぞれを深読みさせる『七日』。


『七日』。何とも大胆。

白黒、台詞なし、登場人物は男と祖母の2人だけ。

誰とも喋らず、まるで儀式の様にゴミ捨て、牛舎の仕事、食事を繰り返す月曜〜日曜の農村暮らし。

映像の変化の少なさに比して音響が異様にデカく、ハイレゾで生活音を聴く如し。


渋谷の秘密基地みたいな素敵なBARで痺れる映画を観ましたよっと🎬

大田原愚豚舎第2回作品『七日』。

一昨年のTIFF以来でしたが、新たな発見もいっぱいで素晴らしかったなぁ〜✨✨

イタリアのニューレアリズムを観てる気になったり、実はあの唄お婆ちゃんが歌ってるんじゃないの?と妄想したり…

第3回作品『プールサイドマン』と併せてもっともっと沢山の人に観て欲しい❣️

 


VANDRISM渋谷で「七日」を鑑賞してきました。

頭の中であの力強い音楽と、シーンがチカチカと絵のように焼きついています。

静かに過ぎていく時間が、この親子が喋っている時はどんな感じなんだろうと、気になりました。

七日に出てくる人物はきっと何年もこの毎日を過ごしていろのだろうけど、この当たり前のルーティーンを体に溶け込ませるまでに前々からこの生活をしていたのかなぁ。


渡辺紘文監督『七日』鑑賞。

かなりストイックな作品。平凡な日常を、執拗に繰り返し描く狂気。ごくごく当たり前に過ぎ去っていく日々に、恐ろしさすら感じる。『プールサイドマン』再見したいな。都内で大田原愚豚舎作品の特集上映をやってほしいな。


『七日』途中退席者続出とか賛否両論も納得の映画だけど自分は嫌いじゃなかった。

煙草を吸いながら観られる空間で観たのもよかったのかも。

映画館でみたらまた印象が変わると思う。


昨日渋谷のVANDALISMで渡辺紘文監督の「七日」を鑑賞。‬

‪これは音を楽しむ映画だな。‬

‪上映終了後の渡辺監督と宇賀那健一監督とのトークでも触れていたが、いろんな裏メッセージも詰まっていて深いです。‬

TIFFで途中退席した方たちにはそれがわからないのだろうな。


面白かったです。

タイトルの出方でちょっと笑ってしまったりして。

ドイツの歌もアイヌの歌もいまでも耳に残っています。

またもう一度観たいです。


vandalism渋谷で『七日』を観賞させていただきました。

見逃してからずっと観たいと思っていたのですが、やっと観ることができました。

そして期待通りに、いや期待以上に、これこそが映画だと思わせる素晴らしい作品でした。

モノクロで描かれた北関東の田園風景、風の音や牛の鳴き声などの自然音、そして雄司さんの音楽が今もリフレインするように頭に焼きついていて、今もその衝撃を日常に引きずっています。

この映画が劇場未公開だなんて本当に勿体無いですね。

公開された際にはもう一度必ず観に行きます。

素晴らしい映画をありがとうございました。


映像も音楽も素晴らしく、面白かったです。

鳥のさえずりやカラスの鳴き声、鶏のコケコッコーもとても印象的でキャストが少なくても密度の濃い、というかそれぞれのシーンが美しく心地よかったです。渡辺監督のお腹も素敵でした。

次回作も楽しみにしています!!


渡辺紘文監督作品『七日』をみた。

アフタートークで監督たちも言っていたが、確かに新藤兼人の『裸の島』やタルベーラの『ニーチェの馬』を想起させる。

しかしそこに寓話性は無い。

映画全体を支配するのは北関東で祖母と暮らす牛飼いの男の日常生活を徹底して描くリアリズムだ。

執拗な繰り返しと長回しの演出によって確かに観る人によっては退屈に感じる映画なのかもしれないが、私には逆に日常生活の節々にある張り詰めたような緊張感が感じられ、みているあいだじゅう退屈する暇などなかった。

劇場公開はいまだに未定だという。どうにかならないものか。


「七日」

渡辺 紘文監督作品。大田原愚豚舎制作。

VANDALISM渋谷2周年フェスティバルで1日だけの上映があったのを観ました。

渡辺監督は、昨年、東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞した方です。

一作目の「そして泥船はゆく」二作目の「七日」も映画祭で上映され、そして三作目の「プールサイドマン」で並みいるノミネートの中グランプリをとりました。素晴らしいことです。

しかし、「七日」は残念ながら未だに劇場公開されてないそうで。今回はVANDALISMのオーナーで映画監督の宇賀那健一監督が、フェスの目玉に観たい映画の上映会を企画された、その中の1本でした。

今月は宇賀那監督の「黒い暴動」に出会い、それでこの上映会を知りました。渡辺監督とは以前にお会いしていて、でも作品を観る機会がなく残念に思っていたので、今回の上映会はまたとない機会でした。

「七日」検索してみてください。監督ご本人もFBやアメブロに書いてます。映画祭では賛否両論、途中退出者も多かったとか。

そのまえぶれとして、モノクロだということ、台詞がない、監督ご自身が出演したと、そのぐらいの情報で今回観ました。

そして110分、台詞はなくても映像と音楽と自然の中の音で十分あきません。モノクロ、あの稲刈りの終わった後の冬に向かう田んぼの風景やまっすぐな一本道、牛小屋などモノクロが似合ってます。淡々と、ただ淡々と。飽きないで見られる人ばかりじゃないとも思いますが、私はしっかり観ることが出来ました。

おばあちゃんとの食事のシーンがあります。100歳に近い監督の実の祖母様だそうですが、その茶の間が特に印象深く残ります。あのゴミ箱あの柄、昔うちにもあったよ、祖母が生きてる頃は。こたつの脇の三ツ矢サイダー、農家の年寄りが好きなの知ってますか?監督は知ってたのかな〜。サイダーって古くからあって、きっとお年寄り世代の思い出の味なのかな〜。あと扇風機、秋も深まってるのに、田舎は出しっぱなしなのよね〜。ストーブが出てきても一緒に並んでたりね。

でももうちょっと欲を言えば、あのおばあちゃんの思い出をもう少し画面に映して欲しかったなぁ。一世紀近く生きてきた人の足跡というか何というか。せっかく100歳近い人が出演してるんですもの、ってそんなこと思いながら観てました。

あと、音楽、良かったです。監督の実弟、渡辺雄司音楽監督のオリジナルだそうですが、この作品、音楽の力、ものすごく大きいです。なんかお腹の底から響いてきてる感じで、私、気に入りました。渡辺音楽監督にお会いしたら、音楽を入れたタイミングはどう決めたのか、そこを聞いてみたいです。

次は「プールサイドマン」劇場公開を楽しみにしてますよ。


久しぶりのこの時間23:08現在 at.TOKYO。

かな〜りチャレンジングなインディペンデント映画『七日』を観てきました!!

やっぱり、そんじょそこらではお目にかかれない、独特の空気感に包まれたエッジの効いた作品でしたよ。ラストは何となくカタルシスぽい気分になぜかなったが、最後の最後に、また不調和音な感覚が満ちてくる…。

さすが大田原愚豚舎、得体の知れない傑作を突き付けてきたな、という感じでした。

来週は東京国際映画祭スプラッシュ部門の受賞作『POOLSIDEMAN』!

しかも、最新作が、またしても東京国際映画祭出品決定!まったく、スゴイ人達です!


武蔵野館にて。監督と監督のお婆ちゃんと牛。背中で始まり背中に終わる。同じような毎日だけどこんなにも色んな表現ができるとは。


七日を観て 数日。労働者である自分。今日も主人公は 仕事しているのだろうか?変わらない日々、変わらない労働。つまらない、単調だと思われる作業の中にも 発見があり 工夫があり 上手くいったときには この上ない 喜びがある。主人公もそうなのだろう。


七日を観て数日。想像が膨らむ。主人公は 新聞を読み、ニュースを聞き ほんを読んでいた。社会の一員として 自分のなすべき事を やっている。何故か 孤独でない。寂しくない。おばあちゃんがいるから?なんでだ?どことなく 何となく 愛を感じる。


新宿武蔵野館で『七日』。スチル写真の、鉄塔が点在する田園風景を見て、これ地元の栃木じゃね?と思ったらやっぱりそうだったので、なんかひかれて観に行った。ミニマリズム映画として最良の部類だった。ミニマリズム映画、って時点で賛否わかれるが、そこら辺が興味深い映画だ。

というかミニマリズム映画って言葉の存在や定義自体、ぼんやりしたもので、個人的には00年代前後辺りから、デジタルビデオカメラとimovieやらファイナルカットの登場で、落ちこぼれ映研大学生たちが大量生産したあるジャンルという印象(ますますなんじゃそりゃ)

内容的には日常にあふれるちょっとしたことを、ドラマの見せ場にしたものがミニマリズム映画と言われる所以でもある気がする。『七日』をミニマリズム映画として最良と言ったのは単純にそんな感想が浮かんだだけなので、適当な決め付けはよくないが、そこから観ると結構、特徴がわかる映画だった。

その特徴をちょっとはしょって言うと、『七日』はある意味、ミニマリズム映画でありながら、よくいわれるようなミニマリズム映画ではなかった。アンビエントな映画で、カウンター映画とも言うべきか。あ、カウンター映画って時点でもう賛否わかれる‥。今の映画の潮流との断絶にむしろ今を感じる映画。

音楽シーンとかでもあるじゃん、パンク、ニューウェーブのがクールで、セカンドサマーオブラブとかストーンローゼズの時代の断絶とか、シラケ世代のあとのオルタナ志向とか、そういうの知らずにCD買って聴いてくれた人たちとか。そういううねりとか流れを感じさせる映画として『七日』は楽しい映画。


【繰り返しの退廃】

来週、東京国際映画祭で作品賞を獲った「プールサイドマン」が公開される。

それに合わせて、渡辺監督の「七日」を観てきた。

現在、新宿武蔵野館では「パターソン」という、ある男の地味で美しい一週間映画が公開されている。あちらは人生賛歌、光の映画に対し、こちらは人生鎮魂歌、闇の映画だ。

田舎の農場を舞台に、飯を食う、牛の世話する、糞みたいな空間で働く。都会民にとって苦痛すぎる日々が台詞なしで描かれる。

本作を観て、「ニーチェの馬」を思い出した。辛い、辛い作品なのに、どこか忘れられない。映像の構図がシャープでクールなところは共通するものを感じる。

確かに、東京国際映画祭で上映以後、一般公開できなかったのも分かるニッチすぎる作品だが、この1週間上映を逃したらなかなか観ることのできない作品なので、おヒマな方は是非新宿武蔵野館へGO!


台詞が無い分背中が雄弁に語る。

繰り返される日常生活のちょっとした違いを楽しむ作品。日々の天気による風の強さや光の射し具合が変わるだけで、前日と同じ様なショットでも表情がガラッと変わってくるところが面白い。

と同時に様々な音に耳を傾けたくなる。ちなみに自分のお気に入りは腹を叩く音。

監督の背中と腹が同時に堪能できる一粒で二度おいしい作品でもあるわけです


『プールサイドマン』の予習として鑑賞。予想以上に何も起こらない映画でビックリ!

主人公の一週間を描く点で、やってることは『パターソン』とほぼ同じ。『パターソン』以上に、主人公の行動や演出の変化は小さいので、「同じ日の繰り返し」という印象は今作の方が強い。

そして変化が小さいからこそ、いざ音楽やカメラアングルに変化があると、「何か起きるのか!?」と緊張が走る。結局、劇中では何も起きないけど、これは「今日は何か起きそう」と思っても、何も起こらずに終わることも多い現実の日常を、映画に取り込もうとしているように感じた。

『パターソン』との対比で言うなら、日常の中の淡い希望や期待を描いた『パターソン』が「光」なら、日常の停滞に徹底して焦点を当てた今作は「陰」といったところ。二つ並べてみると、巡り合わせや時期によって、どちらの人生も過ごすことになるのだと思う。

他には、劇中の牛は停滞した日々を過ごす主人公の「生かされてる」状況のメタファー、祖母は未来の主人公の姿を暗示してるように感じた。何も起こらない映画だったけど、こうやって解釈をすることで、味わい深くなっていくことが面白い。

内容が内容だけに、賛否が分かれるのも仕方ないけど、個人的には映画のメッセージや演出の意図を、じっくり考えながら2時間楽しめました。

何も起こらない今作でも満足できたので、何かが起きる『プールサイドマン』への期待は高まるばかり。


新宿武蔵野館1週間限定レイトショーにて。

よくこんな映画を日本でつくるやつがいたなという衝撃作。

100人いたら100通りの見方ができる映画。

賛否両論あるみたいだけど、そりゃそうだわと思った。

物語も無い、色彩も無い、台詞も無い、俳優もタレントも出ていない、恋愛も暴力もセックスもない。

描かれるのは監督が演じる牛飼いの男とその祖母の1週間の生活のみ。

でも、その生活描写が面白い。

普通の映画とか、無難な映画が好きな人は避けたほうが正解かな。

それでも興味がある人は一見の価値はありかも。


知り合いから噂を聞いて鑑賞。

つまらない。確かにつまらない。

が、究極のミニマリズムがあった。

淡々と繰り返される日常、そこの中に起こる小さな変化、淡々とただ淡々と。

話を聞いて行っていなかったら30分も耐えられなかったかもしれない。

しかし0か5で評価したい作品と感じたので5をつける。

同じ監督で次に『プールサイドマン』なる作品が上映されるようだが覚悟して観に行こうと思う。


パターソンと続けて観たの失敗かと思ったけど最高のセルフ併映になった。

何かを教えてくれそうな白い蝶とおばあちゃんの顎が良い。渡辺監督作品お決まりの客のいびきも聞けて良かったよ。そしてやっぱり方又玹さんの撮影好き。


何も起こらない事だってあるよね。

人生は偶然(たまに必然)何か起こったりするけれど、そうじゃない時の方が多かったりする。

映画は登場人物に何かが起こる丁度そのタイミングを切り取っているけれど、この映画のあの牛飼いさんは起きたあとなのかな、なんて。家族を亡くしたとか。

お墓参りしたとき無音にならなかった。

風の音がした。時間が流れていた。

もし無音になったら、「彼の時間はあの時で止まっていて、変われないでいる」

みたいに感じられるが、そうじゃない。

ってことはあの生活は、彼の中で受け入れられているのかな。

でもそうするとあの音楽の使い方はどうなるのかな。

とか、シンプルだから如何様にも解釈できる。

関心を持つか、持たないか。


不思議とオモロかった。

牛舎で働く週のはじまり、同じように頑張って、ちょい疲れて、惰性、あと一日、癒し、そして、安息日。

牛さん達は変わらず。

お婆も変わらず。

お婆を見る目が優しかった。

違う視点で見れば、毎日同じように生活していても微妙に毎日が違うというね。

セリフなしでスマホもなし。

風や雨の音や雲行き、木々や虫の囀りや牛さん達の啼き声、また新聞の情報やNHKのクラシックとかとかとか…耳を澄まして目を凝らせば、言葉やスマホがなくても生活できるのかもね。って俺には到底無理だけどねw

まあ、お婆を見る優しい目は「お婆だけは変わらず元気でいてね。」って事なのかな?

ところで「パターソン」も一週間のお話で、おまけに武蔵野館のスクリーン1での上映だった。

スジが全く違うのはわかってはいる。

けれど、どーしても比べて思うに七日は究極のお話だね。

覚悟の映画!

そういえば、火曜日の夜が笑ったw


七日にはセリフがない。

スマホもない。

酒もタバコもない。

もちろんセックス、ドラッグ&ロックンロールもない。

ましてや、バイオレンスなんてもってのほかであるわけない。

それは奇跡なのだ!

新しい物を追い求めすぎて本質を忘れているのではないか?と気づく。


渡辺 紘文監督の『七日』と『プールサイドマン』は、違うようでちゃんと繋がっている映画でした!

東京国際映画祭の上映時に賛否色々意見が分かれた幻の名作『七日』を体験しないと、大田原愚豚舎フリークとは言えません!!


何も起きない『七日』でもこれだけ満足できたので、何かが起きる『プールサイドマン』への期待は凄く高くなりました。


『七日』賛否が分かれるのは仕方ないと思うけど、個人的には映画のメッセージや演出の意図を、じっくり考えながら観られて楽しめました。


『七日』劇中の牛は、停滞した日々を惰性で過ごさざるをえない主人公のメタファー、祖母は未来の主人公の姿の暗示。何も起きない映画だったけど、こうやって解釈の余地が広がっていくのが面白い。


『七日』あと、変化が小さいからこそ、いざ音楽やカメラアングルに変化があった時に、「何か起きるのか?」という緊張が走る効果は強かったと思う。結局、劇中では何も起きないけど、これは「何か起きそう」と思っても、結局何も起きずに終わる現実の日常と、映画をリンクさせてるように感じた。


『七日』終了。予想以上に何も起こらない映画でビックリ!主人公の何の変化もない七日間を描く点で、やってることは『パターソン』とほぼ同じ。ただ、『パターソン』以上に行動や描写の変化が小さいので、「同じ日の繰り返し」って印象は今作の方がより強かった。


七日 ほんとに 素晴らしいです!監督 かっこいいです。センスの塊です。映像と音でかこちらの想像力は ずっと フル回転!センスと愛の塊です


『七日』おもしろかったから『プールサイドマン』も必ず観に行こう。


何も起こらず、営む、ただそれだけ。レイトショーのそんな映画にわざわざ足を運ぼうなんて、映画に何かを期待してる人か余程の物好き。後ろの方ではイビキも聞こえたけれど割りと飽きることはなく。想像力を刺激する。こんな方法もあるんだな、と。本日(今宵)は、七日@新宿武蔵野館。


渡辺兄弟「七日」観てきた。「プールサイドマン」のハードモード。プールサイドマンは中盤に変化をつけてるのだけど、こちらはあまりないので、五日目あたりからしんどくなる。最もそれが言いたいことなのだけど。


『七日』映画館では初鑑賞。前に渋谷で観たとき「冬の旅」の話になったので、訳詩も見つつ聴いて今更の予習して行った。

以前と同じ日常を淡々とこなす顔の見えない気味悪さを感じた。

音が魅力の映画は好み。オリジナル曲も好き。さらばさらばほーほー♪

そうなると『パターソン』も退役したの先週なんじゃないのか?と思えてきた。バザーに一緒に行かないのが最も気になるところなんだよね私は。


「七日」、主演の渡辺監督の目が印象的。変化のない日々を、死んだ目も生きた目もしていない中立のような目だった。自分から好んでこの変化のない沈黙した生活をしているようにも見える。家畜は牛じゃなく実は飼い主の方かもしれない。


渡辺紘文監督「七日」

曜日のテロップが出て、同じような毎日が繰り返されるというミニマルな手法は隣のスクリーンでやってる「パターソン」とびっくりするような奇妙な符号なんだけど、まったく違う実験的映画。...


映画『七日』

横切る蝶々、猫、そして風。

風の画が凄い。画面、目一杯に音と共に風が迫って来る。

入れ歯とコップ、とっても良かったよねぇ。洗浄剤入れる指にクラっときた。思い出してうっとり。愛おしい瞬間。

朝の台所の塩梅、高めのコントラストも最高。台所がかっこいい映画。


映画『七日』

観終えて・・・お味噌汁飲みたい。平山家と渡辺家、超愛おしい。入れ歯を洗う手元の優しさにキュンときたし、おばあちゃんが菓子パン開けるビニールの音にグッときた。何だろ。何だろ、この気持ち。とっても心地良い。


夜、寝転んで本読みながら葡萄食べる姿、超良かったんだよなー。楽しみ楽しみ楽しみ。

映画『七日』かなり好きな作品です。


席の近くの方が『七日』のチラシと思われるものを読んでいて、慌ててロビーに出てチラシを探し、無事にゲット。やったー!

東京国際以来の『七日』楽しみ楽しみ。楽しみ。楽しみ。


新宿武蔵野館に『七日』観に来ました。

葡萄食べながら読書する姿、最高に良い。部屋の花柄のゴミ箱も良い。三ツ矢サイダーとおばあちゃんと花柄のゴミ箱、テレビ「泥船」、畳屋さんの看板、納豆、 バナナ、ゴミ出し、楽しみ楽しみ。


「七日」一人の男の変化の乏しい日常=七日を二時間映しだすだけの映画だが、音楽と時間の流れを巧みに変えることで微妙な変化を表現している。繊細な日常の機微を感じさせると同時に、大量に存在する余白の時間は、観ている側に日常そのものを考えさせる。映画そのものを考える場に変えてしまう映画。


「七日」一昨年のTIFF以来、2度目の鑑賞。今日は昼飯も夜飯も抜いて観に行った。この映画は自分からアクセスしていって、自分で意味づけしていく映画なので、頭がクリアな状態で観ないとたぶん面白くない。TIFF中は一日4本とか観てるので、そういう見方がちゃんと出来てなかった。


「七日」そんなわけで、今日は途中退席者はいなかったものの、やっぱり満員御礼な感じではなかった。それはこの映画が、映画は基本的に受動的なものって観点から外れている映画である以上、仕方がないのかなとは思う。


「七日」そう考えると時系列的には「七日」のアップデートが「プールサイドマン」って捉えていたけど、一定のメッセージを内包しているプールサイドマンより、七日の方が根源的なので、観る順番はホントはプールサイドマン→七日の方が入ってきやすいのかなとも感じた。


集中しないとヤバそうな映画観るときは割と空腹状態で観に行くようにしてるの習慣だからなあ。映画祭とかだと4本とか見るし、それが毎日続くから、食べないと持たないからそういうこと出来ないけど。

 

「七日」は今回割と自分としてはベストなコンディションで観られて、TIFFのときは全然ちゃんと観られてなかったとわかったし、本当によかった。


昨夜初鑑賞でした。一見ルーティンのような日々の生活なのに、とてもドラマチックでした。祖母様が現在100歳でお元気とお聞き出来たのも、良かったです雨の日、どーなるのかな?と観てたら、ちゃんと描かれていて、安心しました監督のお姿に、癒されました


労働する男の1週間を描いているという意味では『パターソン』と同じだが、後者が詩作という趣味に生きつつ「何気ない日常」なるもの(?)を送っているのに対し、前者はあくまで単調な現実を生きるのみである。なんども胸騒ぎがし、不穏さのようなものを感じるのだが、結局何も起こらないのだ。


流行に乗ることなく撮りたいものを撮っている感じがして、もはや『七日』のような映画が劇場公開されているということだけで素晴らしいと思った。


武蔵野館で『七日』を鑑賞。日々の反復のうちにある差異を捉えようと画面の細部を見ることを強要させられた。歩調と足音の不和、蛙や鳥の鳴き声の遠ざからなさ、降っていない雨(?)、蛙の声が静まったあとに横切る蝶々を契機として傘を閉じる主人公など、映像と音との関係をも考えさせられた。


渡辺監督「七日」なんでこんなに面白いのか。。日常の七日間の話なのになんでこんなに面白いのか。なんとも言えない音楽も全部すきだ

プールサイドマンも、もう一度、また早く観たい


武蔵野館で『七日』っていう映画見てきた

風のないニーチェの馬みたいで懐かわしかったわよ あれ鳥の声って打ち込み的な感じでやってんのかな、ナチュラルかな

酪農だけど雇われなのかな、朝もあんま早くないし休みもあるから過酷な労働って感じもせず

のり巻いてご飯食いたいなう


そうそう、『七日』の、あの大木に続いてる道、最高よね 何の情報もなくふらっと見ただけなんだけど、あの木に続いてる道は、ずっと見てたかった

あの「木に向かって、雨の日も風の日も、一本道を淡々と歩く」、これがこの映画のテーマではないかと、思ってしまうわよね人生


新宿武蔵野館「七日」。2015年の東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門に正式出品された渡辺紘文監督作品。栃木県大田原市の農村を舞台に年老いた祖母と暮らす男の単調な一週間をモノクロ、セリフなし、長回しで描いた「そして泥舟は行く」と「プールサイドマン」を結ぶ作品である。


新宿武蔵野館で『七日』を鑑賞。農村の牛舎で働く男、そして祖父。牛舎で働く人の日常としては平凡なのかもしれないが、想像つかない日々だな。黙々と繰り返されるのかね。よく歩いて、よく食べてた。風変りな音楽も印象に残る。


七日@武蔵野1。月曜から始まって次の月曜の朝で終わるパターソン構成だけどどの日もほぼ同じ一日で変化がなく日々の労働に削られてあとは食べて寝るしかない息苦しさやモノクロの長回しが時折音楽でスペクタクル化するあたりなど諸々「ニーチェの馬」の「そこまで大変じゃない版」って感じだった。

洗面台で歯を磨く主人公を延々捉える月曜の最初のカットで「カメラ回す甲斐のない動きをずーっと見せるタイプの奴だこれ」と正直げんなりしたのだが火曜の朝に同じ長回しが始まった時は何故か安堵感があった。色々と事が起きて無理やり興味の持続を強制される映画鑑賞に対するデトックス効果だろうか。

水曜か木曜の夜に、主人公とともに暮らす(たぶん)祖母がいぎたなくいびきをかく主人公の太鼓腹をペチーン!ペチーン!と叩くカットが映画のトーンから浮くレベルで可笑しくて「おいおいこれから色々面白いことが起きるんじゃないだろうな」と心配になったくらいである(杞憂だった)。


新宿武蔵野館『七日』を観た。

長らく未公開映画だったらしいが『プールサイドマン』の上映を記念して1週間限定レイトショー。

北関東の農村で祖母と暮らす牛飼いの男の七日間の生活を追う映画。

全編モノクロでセリフはゼロ。七日間同じような生活が繰り返される。その生活を覗くことを観客は強要される。

何も起きないから退屈、何も起きないから面白くないという言葉で切り捨ててしまえばそれまでの映画だが、何かが起きてるから面白くない映画だっていくらでもあるのだから評価が難しくなる。

いびきをかいて寝ている客もいたが、自分はこの映画をみているあいだじゅう退屈することはなかった。

途中退席者が続出とかどこかに書いてあったけれど、自分が観た回に途中退席者は一人もいなかった。

近年もてはやされるような過激な表現や露悪的な表現に頼らなくても映画は十分面白くなるのだという可能性をこの映画は示してくれたようにも思う。

『プールサイドマン』を観るのが楽しみだ。


Un uomo vive in un piccolo villaggio fuori Tokyo assieme alla sua anziana nonna, i suoi giorni sono cadenzati da una monotona quotidianità, la colazione, il lavoro nella stalla e le lunghe camminate.

 

Dopo il felice esordio alla regia con And the Mud Ship Sails Away del 2013, i fratelli Watanabe ritornano con un altro lavoro che sul piano formale risulta ancora più estremo del primo.  7 Days è un lavoro senza dialoghi e parlato, girato in bianco e nero e sostanzialmente privo di una storia vera e propria, un film che alla sua premiere al Tokyo International Film Festival ha finito per dividere molto, stroncato da tanti e apprezzato da pochissimi. 

 

Praticamente seguiamo sette giorni nella vita dell'uomo e della nonna, ognuno dei quali è scandito dalle stesse scene che si ripetono, al mattino il lavello, la colazione, la camminata per portar fuori la spazzatura, le lunghe camminate nei campi per recarsi nella stalla - forse le scene migliori del lavoro soprattutto grazie alla musica - le vacche, il ritorno a casa e quindi la cena. L'attenzione dello spettatore si focalizza inevitabilmente sull'immagine dell'inquadratura e tutto ciò che essa contiene: i campi, gli alberi mossi dal vento, gli interni della casa, le mucche, i tralicci che si stagliano nella pianura, sono tutti elementi "paesaggistici" che risaltano anche grazie all'uso del bianco e nero del digitale. Anche la musica naturalmente gioca un ruolo fondamentale, sia quella strumentale sia quella cantata come un lamento, sorta di elemento circolare che accompagna le lunghe camminate del protagonista lungo i campi, una musica la cui cadenza quasi ipnotica si mette in risonanza con la monotonia ed il tedio della vita quotidiana dell'uomo e del paesaggio circostante. Una parte importante del lavoro è inoltre il sound design, il vento soprattutto, ma anche il mormorio della televisione e dei macchinari usati nella stalla, il ronzio delle mosche ed in genere tutto ciò che di solito viene relegato in secondo piano, dal punto di vista sonoro, proprio per l'assenza di parole, viene qui trasposto e proiettato in primo piano, in evidenza.

 

Ci sono alcuni momenti di scarto nel film, momenti comici, in verità uno solo forse, quando l'anziana nonna picchia sulla pancia del nipote che dorme, e nel paesaggio negli ultimi due giorni, sabato e domenica. Il sabato infatti dopo aver giocato da solo con una palla da baseball, l'uomo si reca al cimitero, come spesso accade in Giappone collocato su una collina, e da qui vediamo alle sue spalle una piccola cittadina. Un particolare minimo ma in un film dove tutto si ripete quasi allo stesso modo, si tratta di uno scarto visivo che funziona come una piccola rivelazione, comprendiamo cioè la geografia della zona ed in che modo la casa del ragazzo e della nonna si rapportino con il centro abitato e con la distesa di campi attorno. 

 

Oltre ad essere un'esplorazione del paesaggio non urbano giapponese - campi, montagne in lontananza, boscaglia, alberi, rigagnoli - è presente in filigrana, fin dalla scelta della location, il tema della perifericità delle campagne giapponesi rispetto alle metropoli, dove, secondo il racconto dei media, sembra che tutto debba succedere. Un concetto connesso è quello dello spopolamento dei piccoli paesi e di come questo influenzi l'agricoltura e di conseguenza la quotidianità delle vite dei (pochi) abitanti rimasti. Abitanti che sono per la maggior parte anziani: ecco allora il rapporto fra il figlio e la vecchia nonna.

 

La visione di 7 Days non è facile, si tratta di un film dove non c'è intrattenimento, in certi tratti è difficile da sostenere per la monotonia, ma allo stesso tempo si tratta di una monotonia circolare che ha la forza di ammaliare e di catturare con il suo ritmo, le musiche e le varie tonalità del bianco e nero. Un lavoro che esalta il potere contemplativo dell'immagine in sé e che ha il pregio, per chi apprezza questo tipo di lavori, di creare uno spazio aperto fra l'opera e chi la fruisce.

 

Sul piano stilistico alcune scene in particolare sono molto studiate e costruite con sapienza, hanno la forza cioè di mantenersi da sole per lunghi periodi di tempo anche se non succede praticamente niente - quelle mattutine al lavello o alcune in esterno fra i campi, ad esempio, sono costruite molto bene e fanno uso della luce naturale davvero ottimamente. 

 

7 Days è un lavoro che va sicuramente apprezzato per il coraggio di osare, evitando allo stesso tempo la trappola di voler essere troppo cinema art-house e lirico, un film sperimentale ma che non si vende come tale. Anche qui come in molta produzione giapponese contemporanea, il lungometraggio poteva essere sforbiciato di una trentina di minuti, anche se la monotonia, il tedio, la circolarità e la durata del film concorrono a creare una sorta di tempo dilatato funzionale allo stile ed alla riuscita del film stesso. 

 

Ora la speranza è che i fratelli Watanabe non si credano Lav Diaz o Bela Tarr ma che continuino nel loro originale percorso cinematografico in modo indipendente, anche se "piazzare" questo lavoro nei teatri o anche nei festival sarà impresa ardua. 


En sección competitiva se presentaba 7 days (『七日』 Nanoka, Hirobumi Watanabe). Tras la gran acogida de su And the Mud Ship Sails Away (『そして泥船はゆく』 Soshite Dorobune wa Yuku, 2013, Hirobumi Watanabe) en el circuito internacional de festivales, Watanabe vuelve con su segundo trabajo al certamen que le dio a conocer, cosechando en esta ocasión cierta incomprensión en la proyección para la prensa. Cierto es que el tempo de su película juega con la paciencia del espectador, especialmente esos dos primeros segmentos de los siete que anuncia el título, pero el resultado es hermoso en lo visual y personalmente también me parece interesante como propuesta narrativa. En la línea de la autoficción que caracteriza cierto tramo de la obra de Kawase, cercano a propuestas que cuestionan la ficcionalidad del documental –como en la filmografía del primer Isaki Lacuesta o de José Luis Guerin, curiosamente presente también en el festival con su Academia de las musas– y con múltiples elementos que recuerdan al cine de Albert Serra, la película tal vez no sea un dechado de originalidad, pero sí es un ejercicio cinematográfico sólido y altamente esteticista.

 

Sin duda, las expectativas generadas con su anterior filme, tanto por calidad como por lo diferente de su registro genérico, jugaron en contra de la apreciación de la película. Aunque dotada de un soterrado y oscuro sentido del humor, la película se aleja radicalmente del tono cómico de su predecesora y retrata sin diálogos una semana en la rutinaria vida del realizador, que en realidad no se gana la vida con el cine sino trabajando en una explotación lechera. Nuestro protagonista desayuna, limpia, camina hacia el establo, trabaja, almuerza, prosigue su labor, regresa a casa y cena. Frente a esta sucesión de tomas lánguidas y dilatadas, los fragmentos que muestran el devenir de las vacas en su establo se nos ofrecen mediante una edición ágil, que contrasta con el conjunto del filme. Con ese contraste y su insistencia en mostrar las comidas, única actividad a la que se libra el ganado en el establo, Watanabe parece equiparar su anodino transcurrir al de los bóvidos, casi sugiriendo que la vida vacuna es menos aburrida. Sintetizando, una propuesta fílmica arriesgada, que tal vez sea mejor acogido en determinados circuitos aficionados al cine de arte en Europa que por la parroquia congregada en el TIFF.


One of the most divisive films so far has been “7Days,” the sophomore feature from sibling filmmakers Hirobumi and Yuji Watanabe. Viewers who warmed to the brothers’ insouciant 2013 debut, “And the Mud Ship Sails Away…,” will probably be appalled at the direction they’ve taken here. The new film is a dialogue-free “slow cinema” exercise that rivals the glacial pacing of Hungarian auteur Bela Tarr.

 

“7Days” documents a week in the life of a burly dairy farm worker, played by director Hirobumi, who lives with his superannuated grandmother. After a day’s worth of quotidian details on “Monday,” the action moves on to “Tuesday,” and we get an almost exact shot-by-shot remake of the previous day. If you can slow your pulse sufficiently, the film’s distinctive texture and transcendental tedium yield some rewards, though the experience proved too much for most of the people at the screening I attended.


I'm definitely in the minority here,

but I actually liked the Watanabe Brothers' transcendently boring 7 DAYS.


Don't shoot me, but I like Watanabe's 7 Days 七日 quite a bit


At least half a dozen people walked out of the screening of 7 Days that I attended at the Tokyo International Film Festival, five of them within the first thirty minutes. To be fair, you’ll probably know within ten minutes whether this is a film you want to watch in its entirety. Black and white, without a single line of dialogue, and consisting of a collection of repetitive, everyday images of farm life in rural Japan, 7 Days is closer to a museum piece than a narrative film, and I doubt it’ll be seen much outside the festival circuit.

 

It tested my resolve, to be sure. I won’t claim that those who were bored simply didn’t get it, or that it moved me immensely. But it has stayed with me, and if you can get past the initial premise, you might actually find yourself a little touched by it as well.

 

7 Days is the second feature from Foolish Piggies Films, founded by director Hirobumi Watanabe and his brother, Yuji Watanabe. Their first film, 2013’s And the Mud Ship Sails Away, was a comedy made on a shoestring budget featuring mostly non-actors in supporting roles. That film took place in the farming region of Tochigi, only a few hours from Tokyo but feeling a million miles away. The Watanabe brothers both grew up in Tochigi and have cast friends and family, including their 96-year-old grandmother, in supporting roles in both of their films.

 

For 7 Days, the Watanabes return to Tochigi and shift their focus to the repetitive rhythms of life on a dairy farm. The film takes place over one week, with “Monday,” “Tuesday,” etc. appearing as text on the screen as the week progresses. “Monday” consists of a series of long, mostly stationary camera shots—the farmer (played by director Hirobumi Watanabe) brushing his teeth, eating breakfast with his aged grandmother (again, the Watanabes’ own grandmother), taking out the trash, walking the long walk to the milking barn, milking the cows, eating lunch with his grandmother, washing the dishes, and shoveling manure. “Tuesday” is almost exactly the same. By “Wednesday” you begin to notice slight variations—the weather changes, they eat different foods. “Sunday” is a little more leisurely (the farmer plays baseball in the morning), but every day feels and looks very similar.

 

About two-thirds in I started to think of 7 Days as a haikai collection, where a theme is expanded upon through descriptions of simple sounds, images, and feelings—sometimes vulgar ones, like Basho’s famous account of a horse urinating by his pillow. In 7 Days, seemingly uninteresting (and sometimes vulgar) images and sounds are elevated through their arrangement and repetition. The images and the sounds develop a rhythm, and you begin to notice a merging of sound and tiny visual movements—the way the grandmother’s constant chewing matches the rhythm of the piano, or how the back-and-forth motion of a shovel complements a singer’s voice.

 

Images in the film are mixed with a varied score by Yuji Watanabe that includes a didgeridoo, a Jew’s harp, German opera, classical piano, an especially haunting Japanese folk song, and often just the ambient noise of the farmer walking through gravel or the wind rustling the trees. The ambient noise in particular has a soothing quality, and I found myself dozing off once or twice, but somehow that seemed like a normal part of the 7 Days experience.

 

Images that seemed mundane at first take on a striking beauty with the third or fourth viewing. Every morning the farmer walks a long, empty path with an unobstructed view broken only by the silhouette of a single, distant tree that made me think of Waiting for Godot. Wind ripples through bright white fields of wheat, and after two days of rain the sight of sunbeams peeping through clouds is stunning.

On “Tuesday,” the first time we see the same set of morning-to-evening images and sounds repeated—brushing teeth, garbage, breakfast, milking, lunch, shoveling—there’s a sense of boredom and frustration. For most of us, anyway, the idea of a life where every day is exactly the same is not a vision of happiness. But by the time that same collection of images and sounds appears at the very end of the film, something has changed. They’ve become comforting visual and auditory signposts in a small, intimate journey, a meditation on the rhythms of life and nature encapsulated in the events of a single week. It’s not a revolutionary journey, and not one that every viewer will be interested in seeing through to the end, but it’s an intriguing journey all the same.


7 Days

 

Shot with black-and-white, a thoroughly naturalistic film with a number of long takes and no dialogue might sound like the most attractive title for covetous cinephile all over the world, but sadly that is not the case for 7Days (2015), a Watanabe Brothers’ latest film. Their second feature turns into quite a disappointment, becoming a poor Japanese cousin of Béla Tarr’s The Turin Horse (2011), and failing to meet auspicious expectations after a controversial but positively reviewed previous film, And the Mud Ship Sails Away... (2013), which was premiered at 26th TIFF. Still, it is possible to see audacious spirit of filmmakers who gave birth to this project with lesser money than the previous work, cultivating possibility of independent filmmaking.

 

7Days does not seem to construct a narrative that an audience would normally expect from a film. Almost like a documentary, a camera keeps following a simple life of Man (Hirobumi Watanabe), a farmer played by the director, with his Grandma (Misao Hirayama). Beginning of the film is Monday. Screen shows the protagonist washing his face, throwing away trashes, eating breakfast, reading a paper, hanging laundries and working. No information of the characters is cogently revealed except some facts that we can predict from their actions. At least, Man seems to be a serious person, and maybe cultural; always watches news programs in the mornings, not variety shows; reads a book, not a comic; and listens to opera songs from TV during dinner, not J-Pop idol music. And when the protagonist washes his face again on Tuesday morning, an audience would assume that the same things might happen for seven days.

 

Béla Tarr’s masterpiece, The Turin Horse, shares the structural similarity with 7Days: repetitions of the same actions for one week. However, the structure is not the only resemblance, but their style and mise-en-scène: windy environments, long takes of walking characters and frequent uses of murky soundtrack. The biggest difference is that 7Days fails to be as visceral as The Turin Horse. Simply repeating the same everyday deeds over and over, Tarr represented a combat of mankind against nature in a tattered world. What does 7Daysrepresent? Beautiful but reticent cinematography by Woohyun Bang and acting which seems to be refusing to express, leave too many possibilities of interpretation. It can be a celebration of frugal living, lost hope in the post-apocalyptic world, criticism against urbanization, and so on. But what we need to keep in mind is that these arguments cannot be based on anything, because the film is signifying nothing. Of course, there is nothing to prevent a spectator from thinking that expressionlessness is the whole point of the film. Okay. Fine.

 

Having said that, none of them should indirectly imply that there is nothing original in the film. It is possible to conceive Asian religious views in everyday life of the farmer. Surrounded by nature, 7Days depicts the animistic environment that should be full of wild spirits. With or without a narrative, however, the depiction of spiritual nature does not really take the film anywhere. It gives an impression that Watanabe refuses to challenge something. Or he is challenging not to challenge.

During Q&A after the screening, one of gentlemen in the audience asked the director if he was inspired by The Turin Horse. Watanabe said that he respects Béla Tarr, but there was “no direct influence,” even though he expected this question. Intentionally or unintentionally,7Days winds up being a degraded version of The Turin Horse with a little bit of Asian taste. In the end, what was the point of the film? Has the director actually depicted something? Only thing that can be possibly said is that these are not valid questions for such an experimental film. Watanabe Brothers is surely questioning, with such an independent spirit, typical notions of what film should be and how film should express. And most of all, does film have to express something at all?