山内ケンジ監督から届いたお言葉


昨年10月に開催された第28回東京国際映画祭・日本映画スプラッシュ部門に大田原愚豚舎の新作『七日』が出品されました。

 

同部門に『友だちのパパが好き』http://tomodachinopapa.com/

を出品された山内ケンジ監督が、大田原愚豚舎と『七日』について素晴らしいお言葉を寄せてくださいましたので、監督に許諾を頂きここにご紹介させていただきます。

 

山内監督に心より感謝致します。

 

山内監督、本当にありがとうございました。

 


大田原愚豚舎のこと

 

昨年2015年の10月、第28回東京国際映画祭のスプラッシュ部門に私の映画「友だちのパパ好き」が選出されました。他に7本の日本のインデペンデント映画が選ばれ、作品賞は、「ケンとカズ」に与えられました。

ところで私は、その映画際の期間中、城山羊の会公演に向けて台本を執筆していたので、他の作品を一本も見ることができませんでした。いまだに悔やんでいます。

8本のスプラッシュ選出映画のうち、私の映画(略して)「友パパ」、「知らない、ふたり」「アレノ」「下衆の愛」など既に公開されていたり、公開が決まっているものはあるのですが(他にももしかしたら公開予定の作品があるかも。間違ってたらすみません)、決まっていないものもずいぶんあります。そもそも、作品賞をとった「ケンとカズ」が、現時点(2016年1月)で公開の声が聞こえて来ていないということが、日本の映画状況のこれでいいんでしょうか感をより強く感じさせます。

で、

私の「友パパ」は、昨年2015年の12月に公開され、渋谷ユーロスペースでの上映は既に終わりました。まだ地方各所や都内でも上映されているので、未見の方はぜひご覧頂きたいと思います。

「知らない、ふたり」は、新宿武蔵野館でやっと観れました。素晴らしい作品でした。ツイッターでも賛辞を送らせて頂きました。こちらもまだシネマート新宿で上映されています。

他のスプラッシュ選出作品もなんとか全部観たいとは思っているのですが、公開されないとどうにもなりません。

が、

もう一本、DVDという形ですが、観ることができた映画があります。

それは、大田原愚豚舎制作、渡辺紘文監督の「七日」です。

大田原愚豚舎というなかなか素敵な名前は、渡辺監督とその兄弟の音楽監督、渡辺雄司氏がふたりで起こした制作集団らしいです。

 「友パパ」「知らない、ふたり」はふたつとも恋愛を扱っていますが、「七日」は恋愛のかけらもありません。しかしこれも素晴らしい作品でした。しかし、この映画も現時点で一般公開が決まっていないようです。

こんなに面白くて先鋭的な映画を、ひとりでも多くの人に観てもらいたいと思います。それで今、この文を書いています。

わたしの映画もお客さんがあまり入らなくて困っているのですが、それでも公開はされています。「七日」も「友だちのパパが好き」同様に公開されるべき映画だと思います。

サイトはここ。http://foolishpiggiesfilms.jimdo.com/

さて、「七日」を観て、ヨーロッパの映画をよく観ている人は、タル・ベーラの「ニーチェの馬」を想起するかもしれません。恐らく渡辺監督も意識していると思われます。

しかし、似て非なるものです。似ているとすれば、「風が吹いている」「寂寥感」「セリフがない」といった要素です。(ニーチェの馬は、実際には少し会話があります。「七日」はゼロです)

長編映画でセリフがない、と聞くと、それだけで、敬遠する人がいるかもしれません。ところがそんな心配は要りません。面白いのです。しかも、笑えます。もちろん、コメディではないので、そういう類いの笑いではありませんが。(「ニーチェの馬」もある一箇所のシーンでだけ笑えるのですが、「七日」はもっと笑えます。再度言いますが、コメディではない)

私はだいぶん長く生きているので、色々な笑いを知っていますが、「七日」の中に生み出されるユーモアは、あまり経験したことのないものです。

笑わせようとすると失敗します。それは誰もがご存じのはず。私も、「ここ、笑うところです」みたいな表現は極力避けます。

しかし、この「七日」は、避けるどころか、笑わせようとする作為は微塵もない。しかし、笑ってしまう。なぜか。

これを解説するのは難しいです。ご覧頂くしかないのですが、ひとつの要素として、映像と音楽のマッチング、ということがあります。

例えば、男が田舎道を歩くだけの映像、牛厩舎で牛たちがエサを食べているだけの映像に、渡辺雄司氏作曲の計算された音楽が付くと、妙な不安感に襲われたり、狂気じみたユーモアを感じる。登場人物はふたりだけ、監督が演じる30代の男と祖母で、ふたりの単調な生活が描かれるわけですが、もちろん一言も会話をせずに一緒に食事をし、見るともなくテレビを見る。男は毎日家事をし、牛の世話をする。それのどこが面白いんだ、と言われるかも知れないが、これが面白いのです。そして、男はいつもとは違う、墓参りをする。それ以上のことは起きない。事件もなにも起きない。しかしその、ひとりで行う墓参りがとてつもなく大きな出来事に感じてしまう。これはどうしたことか。

この不思議な感覚こそが「演出」だと思います。俳優に対しての演出ではなくて、映画としての演出です。映像と音楽と構成。

この大田原愚豚舎は、「七日」の前、13年に「そして泥船はゆく」という作品を発表していて、これも、TFFのスプラッシュ部門に選出されていて、これは短期間ながら一般公開されています。

この前作は、海外の映画祭にずいぶん招待されているようです。

私も見ましたが、これは「七日」とはまったく違って、渋川清彦主演の会話劇です。「ストレンジャーザンパラダイス」かと思いきや、最後でシュールな展開(いや理屈はちゃんと通っているのだが)になるコメディと言えます。3.11直後の北関東の田舎という要素もうまく取り込まれています。面白いです。でも普通に面白い。

私がとても興味を抱いたのは、「そして泥船はゆく」の次になぜ一転して「七日」のような映画を作ったのか、ということです。この方向転換はとても勇気がいることではないか、と思うからです。

しかも、これほどスタイルを変えたのに、独特な、寂寥感の横溢したユーモアはちゃんと残っている。いや、それどころか研ぎ澄まされている。

もちろん低予算の制作費(50万円前後、と記事には書いてありました)という条件などもあるでしょうが、もちろんそれだけではないはず。渡辺監督にお会いする機会があれば、その思考の経緯を是非お聞きしたいところです。

今後、大田原愚豚舎制作の、この2本の映画が上映される機会があれば、いや、必ずどこかであると思うし、DVDにもいずれなると思います。まだ未見の方はぜひご覧頂きたいと思います。